よく、「受験によって、子どもが他人の失敗を願うようになり利己的になった」と批判される。しかし、私の経験から言っても、私の高校時代は友だちの失敗を願ったりはしなかった。むしろ、みんなで力を合わせて東大合格を勝ち取ろうと、友情さえ生まれた。こうして、自分を仲間と競い合うことで高めていくことを、昔は「切磋琢磨」と言って推奨したものだ。ところが、今の横並びの教育は、争うことをすべていけないこととしている。これでは、得意な分野をどんどん伸ばそうとしている子どもの足をひっぱることになる。勉強はできるけど体育は苦手だとか、国語はできるけど裁縫はできないという子がいるから教育に意味があるのだ。そういう考え方になれば、よその学年の授業を受けることに問題はないはずだし、そのほうが自然かもしれない。逆に言えば、そういう風に能力別編成にしたほうが、教室の中での能力は均一になるわけだから、教育の効率も上がるのだ。飛び級というのを全部で考えるからいけないのであって、教科ごとの飛び級にしたら自由度も全然違うし、個人の能力も伸ばせる。稽古事を見ても、ピアノやバイオリンで小さい子が大きい子よりも難しい曲を演奏したり、書道で上の段を持っていたりするのは普通のことだ。それと同じことである。